端緒
- 1996年11月、渋谷警察署で顔見知りになっている刑事宛に二人の弁護士が訪ねてきて「あるデザイナーの男性が『警視庁の者』と名乗る男に連れ去られたまま帰らない」として被害届を提出
誘拐事件の捜査開始
- 警視庁刑事部捜査一課特殊班が渋谷署に急行し状況把握
- デザイナーの妻はかねてから脅迫を受けているとして、地元の神奈川県警察・葉山警察署に家出人捜索願を出していた
- しかし状況が動かないのでデザイナーが取調べを受けていた警視庁渋谷警察署に相談したという経緯
- 実はデザイナーは、ある証券マンが3人の顧客から預かった3億9千万円を騙し取った事件の主犯格の一人として警視庁刑事部捜査二課から追われていた男だった
- その証券マンも姿をくらましている
- その証券マンは「自分が消えたらデザイナーのことを警察に言ってくれ」と言っていた
- 捜査態勢
- 被害届受理の翌日に渋谷警察署講堂に捜査本部を設置
- 捜査態勢は以下
- 被害者対策班
- 犯人割り出し班
- 逆探知班
- 犯人捕捉班
- 犯人追跡班
- 現場下見班
- 資機材調達班
- 動員された捜査員は以下
- 警視庁刑事部捜査一課
- 特殊班
- 殺人班二係
- 殺人班十三係(殺人班は当時の呼称で現在は「強行犯捜査第XX係」)
- 警視庁刑事部捜査一課
- 警視庁刑事部捜査二課
- 警視庁刑事部第二機動捜査隊
- 渋谷警察署
- 近隣署からの応援組
- 第三方面本部
- 届出から5日目、度重なる脅迫電話の中で「サツが動いているのは分かっている、贈り物を届ける」と犯人が告げる
- 6日目に7通目の脅迫状が届く、中にはガーゼでくるまれた切断された指が入っていた
- 薬指の第一関節から先で、鑑識に回すとデザイナーの指紋と一致
- 刑事部長が刑事総務課長と捜査一課長に、警視庁記者クラブ加盟各社への報道協定申し入れを指示
- 捜査本部が新たに特命班を編成し指の持ち主捜索を開始
- 指の切断された男性が受診していないか、関東全域の病院に電話をかけてローラー作戦で探すというもの
- 百数十人もいたが、特命班はわずか1日でその大半が無関係だと調べ上げた
- 東京消防庁、中野区内の出張所から捜査本部に「照会の男を中野区の病院に搬送した」連絡が入り、当該人物は長崎市の保険証を持つ男性だった
- 女性と二人で来院し、その女性がデザイナーの愛人と一致した
- 外来診察申込書の指紋からその男性はデザイナーであることが判明
- 捜査本部はこの時点で誘拐はデザイナーの狂言だと断定
- しかし狂言誘拐はそれ自体違法ではなく、直接取り締まる法律がなく身柄拘束できない
- 保険証を偽名で使ったという有印私文書偽造・同行使で別件逮捕することにした
- デザイナーは狂言誘拐を起こすことで、詐欺の取調べから逃れることと、もう1名行方不明なっている主犯格の証券マンを殺害している事実から警察の目を逸らす目的があった――これを捜査の筋として設定する
- 有印私文書偽造・同行使の容疑でデザイナーを全国に指名手配する
- 警視庁記者クラブに申し入れていた報道協定の解除を申し入れた
- 捜査本部はデザイナーの所在確認に軸足を移す
- 一個班あたり5~10人のチームが10個班以上編成され、デザイナーの居場所を探るため親戚、学友、取引先などありとあらゆる関係者を当たらせた
- 同時に携帯電話の微弱電波を追った
- 電源が入っていると携帯電話は通信先の基地局を探すため常に微弱電波を発している仕組みを利用した
- これが新宿や赤坂を示していた
- 電源が入っていると携帯電話は通信先の基地局を探すため常に微弱電波を発している仕組みを利用した
- デザイナーの愛人を確保し任意での事情聴取をするも黙秘
- しかし取調官の「デザイナーを愛しているなら、まずは指を切断して命の危機にある彼を救うべきだ」の言葉に揺り動かされ、メモでデザイナーの居場所を吐く
- デザイナーを発見し有印私文書偽造・同行使で通常逮捕
証券マン殺人事件の捜査開始
- 捜査本部の態勢は誘拐事件→通常の殺人事件に再編成された(62人)
- 警視庁刑事部
- 捜査一課
- 捜査二課
- 第一機動捜査隊
- 第二機動捜査隊
- 渋谷署
- 麹町署
- 警視庁刑事部
- 本部長は警視庁刑事部長、副本部長は警視庁刑事部捜査一課長、渋谷署長
- 実際の指揮は捜査一課管理官と、捜査一課殺人班十三係係長
- 2、3名単位で捜査員を組ませた22組を編成し捜査に着手
- 現場周辺の足取り
- 貸別荘の洗い直し捜査
- デザイナー、関係者の供述裏付け
- 6年前にも今回と同様の詐欺事件が起きていた
- 金融会社社長が架空の株式上場話を持ちかけ、3人から4億5千万円をだまし取っていた
- その金融会社社長が軽井沢の別荘に向かった後に行方をくらましている
- 内縁の妻に「自分の身に何かあったらデザイナーに聞いてくれ」と封筒を残していた
- デザイナーが狂言誘拐を認める
- 詐欺の件で厳しい取調べを受け、事件に巻き込まれたら信じてもらえると思い狂言誘拐を起こした
- 薬指はドライアイスで凍らせ神経を麻痺させ、出刃包丁の刃を当てて上からハンマーを3回叩いて切断した
- 脅迫状は自分で作成し自宅に投函した、脅迫電話は知人に頼んだ
- 狂言誘拐の件は妻も知っており、自宅に盗聴器を仕掛けて警察の動きを把握していた
- 証券マンとの出会い~失踪について供述
- デザイナーが最初に買った株のローンを担当したのが証券マンだった
- サラリーマンに飽きた、ひっそりと消えたい、デザイナーの名前で別荘を借りてくれと証券マンから頼まれた
- 一度別荘に連れていってくれと言われ連れていくと、以前に貸した500万円より大きな1,500万円を返してきた
- 証券マンの携帯を受け取り何度か発信して生存を装い、デザイナーは愛人と向かった北海道旅行の途中、フェリーから海に捨てた
- この供述を崩し証券マン殺害の容疑で再逮捕を目指すが、このままでは有印私文書偽造・同行使での送致となり微罪なため検察が不起訴として釈放する可能性も出てきた
- デザイナーの愛人に対する取調べで「デザイナーの車がなぜNシステムに引っかからないか」の疑問が解ける
- 車の助手席にナンバーが置かれており付け替えていたため
- デザイナーと一緒に別荘へ行った愛人の記憶にある日付と道路でNシステムに照会すると、別のナンバーがヒットした
- ナンバープレートの所有者は横浜市内の建設会社で盗難届が出されていた
- デザイナーはナンバープレートの盗難を認める
- 証券マン失踪前に、デザイナーが愛人にスタンガンを購入させていたことも判明
- さらに白紙の領収書を近所の薬局からもらい、証券マン失踪の日付を書かせていた
- アリバイ工作が見えてくる
- 北海道警察から「デザイナーからスーツケースを預かっている」という女性が出頭し、中をあらためたところ3億円が出てきたと捜査本部に連絡が入る
- 女性はデザイナー夫婦とは高校の同級生で、デザイナー逮捕と証券マン殺害関与がテレビで報じられたため怖くなって届け出た
- デザイナーの妻からも「金を北海道の女性に送った」という証言が得られた
- デザイナーと行動を共にしていた愛人が証券マンの遺体の行方を知っているはず、そのセンで取調官が取調べを続けていた
- しかし事前に捜査二課は愛人を連れ出してデザイナーと一緒に行った先を捜索していたものの、成果はなかった
- 取調べを続けていると、愛人から「別荘へ行った時に車で近くの山に入った」と新しい証言を引き出した
- 愛人を連れて再度引き当たり捜査のためその場所に向かう
- 事件を担当する検事も同行し、さらに念のため鑑識の一個班も同行させた
- 愛人が示した場所に不自然な盛り土の痕跡があり、検土杖(けんどじょう)を刺すと腐敗臭がして、掘り起こすと白骨化した人骨が出てきた
- 現場保存しつつ長野県警察と調整をするが、警視庁側から何の連絡もないまま遺体発見に至った事実に長野県警察は反発
- 仮に遺体が証券マンでないなら長野県警察の事件となるため、勝手なことをされては困るという正論
- 警察庁出身のキャリアである長野県警察本部長と警視庁刑事部長が話し合い、警視庁側が検証令状を取ることで妥結し、警視庁側が押し切る形となった
- 検証令状の罪名は「死体遺棄罪」で被疑者名は「不詳」
- 既に捜査の状況はマスコミ各社に漏れており、山の上に報道ヘリが飛び交う状態になっていた
- 遺体の発掘作業が行われる
- 深さ1メートル、仰向けの状態、身長170cm、残存頭髪は白髪交じりで、着衣は証券マンが最後に目撃された状態と同じ
- 遺体の頭部、手、口は一部白骨化、胸、腹、脚は石鹸のような屍ろう化が始まっている
- 首にはロープが巻き付けられていた
- デザイナーの愛人が目撃したロープとその領収書から割り出したメーカーのものと一致
- 遺体の発掘作業が行われる
- まだ遺体が証券マンと鑑定されていないが、取調官は遺体の写真をデザイナーに突き付けて攻勢に出た
- デザイナーが「今は言えない、明日話す」とだけ答える
- 翌日、デザイナーは証券マンを殺害し金を奪ったと犯行を認める供述をした
- どこで何をしどうやって犯行に及んだかの上申書を書かせた
- 現時点では有印私文書偽造・同行使の容疑で逮捕・身柄を拘留された状態であり、本命の証券マン殺害の事案については完全に別件となる
- 現在の取調べはあくまでも有印私文書偽造・同行使の件であり、この状態で証券マン殺害について自白を取っても、刑事訴訟法の趣旨に照らすと証拠能力としては消えてしまう
- そこで警察が使う手段が「上申書」であり、被疑者が自発的に別の容疑を認めることを警察署長宛てに上申した形とすることで、「取調官から強制されて自白したわけではない」という任意性が担保できるため
- どこで何をしどうやって犯行に及んだかの上申書を書かせた
- その翌日、デザイナーは否認に転じ、黙秘を始めた
- 前日の夜に弁護士の接見を受けたため
- 弁護士が記者会見を開き大々的に否認と取調官から強制されて上申書を書いた旨の捜査批判を展開
- 12月に入り、ようやく山中の遺体が「DNA鑑定の結果、証券マンの両親と親子関係があると見て矛盾はない」と鑑定される
- これを受けて警視庁刑事部捜査一課は渋谷警察署の捜査本部を「特別捜査本部」に格上げさせた
起訴~公判~判決
- 1996年12月にデザイナーをナンバープレートの窃盗罪で起訴する
- ナンバープレートの窃盗罪による拘留期限が切れると同時に、証券マンを殺害し4億1千万円を奪った強盗殺人・死体遺棄の罪で追起訴に踏み切る
- 以下の状況証拠で東京地方検察庁が起訴にゴーサインを出した
- 北海道の知人に預けていた2億8千万円は、証券マンが顧客からだまし取った金と同一である可能性が高い
- デザイナーが残りの1億3千万円も自分で稼いだ事実はない
- 否認する前に書いた上申書に秘密の暴露が含まれていた
- 証券マンを殺害したロープをデザイナーが事前に購入していた
- 証券マンの殺害場所までのルートと時間がNシステムによって裏付けられている
- 以下の状況証拠で東京地方検察庁が起訴にゴーサインを出した
- 金融会社社長の失踪事件でも捜査を続けたが、デザイナーが当時交際していた愛人の口を割らせることができず、立件見送りとなる
- 翌1997年4月、デザイナーの証券マンに対する強盗殺人罪・死体遺棄罪・窃盗罪の件で初公判が行われる
- 罪状認否では窃盗罪は認めたものの、強盗殺人罪・死体遺棄罪については否認し無罪を主張
- 弁護側は検察が提出した証拠の大半に不同意し、証人尋問で無罪を立証する戦法を採った
- 「遺体発見への経緯が不自然で、警察が関係者に供述を誘導させた可能性がある」とし、弁護側は愛人の証言をの綻びを法廷で明らかにすることで、警察が遺体をでっち上げてデザイナーに罪を着せようとしているという方針を採った
- デザイナーの愛人は2回に渡り証人として法廷に召喚され弁護側の尋問を受けたものの、警察に誘導されたり取引されたりして遺体発見につながる供述をしたことはないと否定
- 初公判から5年後の2002年5月、デザイナーに無期懲役の判決が下された
- 検察側の求刑は死刑
- 刑事責任は極めて重大だが、デザイナーには交通違反以外の前科前歴もなく矯正可能であり、両親と妻がまだ彼を見捨てていないから更生可能であると判断
- 弁護側の主張はことごとく退けられ、検察側の主張はほぼ受け入れられた内容だった
- 検察側の求刑は死刑
- デザイナーは地方裁判所の判決を不服として控訴
- 2004年に高等裁判所は控訴を棄却し地方裁判所の無期懲役判決を支持、さらに控訴したものの最高裁判所は上告を棄却し無期懲役が確定